スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

塩入家ネット開通記念 

塩入家にて。
今日の提出分。
こんなのはいかが

「本の虫」

古典文献学の権威であった祖父が死んだ。88歳、8月の、あまり夏らしからぬ雨の日のことであった。祖父とは年に一度会いに行く程度の付き合いであった。悲しさというよりも、12年前に母方の祖母が死んで以来の久しい葬儀であったということのほうに、新鮮な心持ちを覚えていた。父方の親戚とも同様に疎遠であったし、学会や大学関係の関係者など普段から付き合いのない参列者が多かった。ぼくは着慣れないながらも一人前にスーツを着こなして、親族や参列者に頭を下げてまわる父親以外の、全てを客観視することができるまでの大人になった。葬儀は全てが形式に見えた。「この度は御愁傷さまでした」と頭を下げる黒ずくめの参列者の挨拶も、まぶしいくらいに並びたてられた花輪も、死者を悼むためというよりは、社会的慣習に反れないための義務という具合に見えた。壁にかける名札は高梨家が先で横田家は後で、いや息子が先だの出資金額の多い人が先だのとか、引き出物の数が用意していただけでは足らなくなってしまったとか、そんなことはどうでもいいと思った。死んだのは祖父であり、悲しむべきは家族である。遺影の目の前で香典の勘定をしたり、普段は全く付き合いのない遠い親籍のお酌まわりをしなければならなかったり、これでは誰が主役なのかわからないではないか。妙な具合に声が裏返る若い坊さんのお経を聞きながら、自分が死んだ時には葬式など上げてくれなくていいな、ただ父や母が死んだときにはそういうわけにはいかないだろうなあ、兄が喪主をやってくれるだろうから面倒なことは全て任せてしまおうなどと、人が聞いていたらさぞ不謹慎と思うだろうことを考えていた。



祖父の死後から2週間、祖父の遺品を整理していた伯父が、書斎にあった膨大な本の間から一枚の、何か書き付けてある血判付きの紙切れを見つけた。遺書である。

我亡キ後、書斎ニ在ル蔵書ノ全テノ所有権ヲ、孫清次郎ニ相続ス 高梨清造

なぜぼくに? 訝しんではみたものの、すぐにその理由が思い当たった。父も伯父もも、祖父の希望には沿わで、文学の道には進まなかった。二人とも理系の大学に進学し、伯父はそれから学者になったが、父は一般の企業に就職するに留まった。ところが昨年、僕がある有名大学の文学部に合格し、入学を決めたことで、その知らせを聞いた祖父は諸手を挙げて喜んだ。祖父が息子たちにかけることのできなかった偉大な期待を孫に向けたのだとすると、父や伯父にではなくぼくに蔵書の相続が行われたことにも納得がいく。
「じいちゃんはオレが小さいころから本の虫でな、一度書斎に入るともうしばらくは出てこなかった。飯時になっても、風呂が沸いても出てこない。そのくせ俺たちが先に飯を食い始めると怒るんだ。まったく、あの世でも本ばっかり読んでるんじゃないか」
とは父の言葉である。祖父が家庭と学問に仕切りをうまく作れなかった反発が、伯父や父を敢えて、文学の道にたどらせなかった、ということであろう。かく言うぼくが文学を選んだのも、仕事の虫であった父への復讐意志に他ならない。「文学なんか飯の種にはならん」父は僕ら兄弟が、医者か弁護士になることを希望していた。兄は父の言うとおり医学を学び、今も大学院に通っているのだが、ぼくには人に決めてもらった進路なんか耐えられなかった。しかし別に文学が好きだったとか、モノカキになりたかったとか、そういう純粋な動機ではないので、おそらく、そう、とても残念なことであるが、祖父の偉大すぎる期待にぼくは寸分も応えられそうもないのだ。

それでも、祖父が息子たちよりも愛してた大量の蔵書は、ぼくに相続されることになった。一人暮らしの東京のアパートではとても収まりきらないので、ひとまず千葉の実家に預けておくことにした。かつて子供部屋だった二階の6畳は、書籍を積んだダンボールの山で一杯になった。本棚はすぐに必要なものではなかったので購入しなかった。紙は、一枚でこそ薄っぺらで軽いものの、積み重なると相当な重量になる。父は下の階に本を置くことを許さなかったので、やむなく二階に運び上げることになったのだが、実に難儀した。
6時間にも渡る作業を終えて、わずかに残ったスペースに尻をつくと、今度は自分の体が紙のように重く感じられた。まるで床に張り付いてしまったかのようで、もうしばらくそこから動けそうにない。部屋にダンボールの壁ができて、窓を全開にしているにもかかわらず風が流れない。既にぐしょぐしょになって不快な臭気を発し始めたタオルで、とめどなく滴り落ちてくる汗を拭いて、おもむろにダンボール箱の一つをあけてみた。
なんだこれは? 古文書か? 中にいくつも積まれていた本は全て和綴のものであった。汗でベタベタの手で恐る恐る本を開いてみて、また驚いた。なんだこのミミズが這ったような文字は。いくらページを繰っても、出てくるものはすべてミミズかアブラムシの類である。本というと活字が印刷されたものしか知らなかった。こんなものが読めるか。ちゃんとわかるように日本語で書いてくれ。そう思ったけれども、残念ながら全て日本語である。そういえば祖父の専攻は古典文献学研究であった。するとこの膨大なダンボールの山のほとんどは、おそらくミミズの巣窟なのであろう。このときぼくは初めて、何かとんでもないものを相続してしまったのだということに気がついたのだが、その認識は決して十分なものではなかった。



夏休みがあけ大学が始まった。部屋の片付けもそこそこのまま、ぼくは東京に戻ってきて元の生活に戻った。祖父が死んだことも、大量のミミズの飼い主になったことも、ぼくの実生活に何ら影響を与えなかった。バイトやサークルに明け暮れ、夜は仲間と共に飲み明かすといった毎日を送った。文学など飯の種にもならない。飲んで、遊んで、とにかく遊び尽くすことが学生にとっての本分なのだ。授業なんか出なくたって、単位さえ取れればそれでいい。そのように思って、その通りに実行した。単位は少し落としたが、前期の貯金があるので、まあ何とかなるだろうと思った。
正月も、春休みも実家には帰らなかった。遊ぶことで、大学生活を謳歌することで忙しかったからだ。4月になった。今度は新歓に忙しくなった。新歓とは、期待と不安で一杯の1年生たちに、大学生はこんなにすばらしいんだということを知ってもらい。そうして新たな、ごく一般的な“大学生”たちを増産する行事である。ぼくも去年この場においてテニサーの一つから勧誘を受け、同時に甘い大学生活にも招き入れられたのだ。二年生になっても学業はきっちりとおろそかにするつもりだ。時間割は友達のものを丸写して、後になって二人とも履修エラーを食らうはめになった。

5月の始め、めずらしく授業に出てみようという気がおこって、文学史の講義に出席することのしたのだが、授業が始まってすぐ抗いがたい睡魔に襲われた。昨日家で徹夜の新歓飲みをやっていたせいであろう。始めから寝るつもりで、左腕を枕に横になった。すると右隣の女子学生の持つ教科書の背表紙に、自分の名前を見たような気がした。はっとして体を起こし、さらによく見てみると(当然自分は教科書など買っていない)「高梨清造」とある。なんだ祖父か。自分ではなかったと安心して、眠りへの導入を再開しようと横になった。ん? 待てよ待てよ。……じいちゃんかよ!教科書なんか書いていたのか。今度は体を起こして、教授の話をちゃんと聴いてみることにした。
「高梨先生は僕の尊敬する教授の一人です。先生は今まで読み解かれることの少なかった、戦国時代からの伝承とされるテキストを収集し、その解析をほぼ一人で成し遂げました。中世と近世の狭間にあって、あまり注目されることのなかったたくさんの文献を広く世に知らしめたことで、当時の民衆の考え方について、民俗学、あるいは時代解釈に至るまで、様々なものの見方が示されました」
なるほど。祖父はそのような研究をしていたのか。
「昨年お亡くなりになられたということで、文学界は多大な損害を被ったといっても過言ではないでしょう。それに氏のお亡くりになったことも残念なことなのですが、民衆文化の新たな可能性を示す、その証拠となる残りのテキストが紛失してしまい、追研究ができなくなっているということがとても重大な問題となっているんです」
高梨清造の残したテキストが無いだって? そんなはずがあるか。すべてぼくの実家に山積みになって存在しているはず……そうか!テキストはその全てがぼくの実家に眠っているのである。当然世に出回るということなどあり得ないのだ
「もし資料が見つかって、当事の民衆に近代的文学思想があったということが証明されたとすれば、近現代文学史の根底が覆されるでしょう。それだけの貴重な資料であるだけに、大変悔やまれます。」
ということは、実家においてある本の山を売りに出したら、ものすごい価値になるのではないだろうか。それに、ぼくが持っていても決して役に立つことは無いものである。これは、ミミズの巣窟を巨万の富に変えるチャンスなのかもしれない。

G・Wの長期休みを利用して、実家に戻って蔵書を売りに出す算段をたてることにした。これでもうバイトなんかしなくたって遊んで暮らせるだろう。いやもしかしたらそれ以上、資料を小出しにして売れば、一生遊んで暮らせるかもしれない。それに、この眠っているテキストを世に知らしめることで、僕は文学の功労者となるのだ。富と名誉。なんて悪役的な響きだろう。
実家に帰ると、母は言った。
「清次郎たら、ずいぶん帰らなかったじゃないの、もっとまめに帰ってきなさいよ」
「母さん、今それどころじゃないんだ。二階のね……」
「二階! そうそうそれがね、ここ最近、清次郎の部屋から変な音がするのよ」
変な音? 不思議に思いつつも階段を登る。ドアの向こうから……確かに。カサカサという、乾いたもので何かをこするような音がする。それが、一箇所からではなく、部屋全体で鳴り響いている具合である。……何かいる!!
ぼくは思いきってドアに手をかけた。ノブを回した瞬間……!! 視界が真っ黒になり、階段中が、ものすごい轟音に包まれた。
「きゃああっつ! 」
階段の下から母の悲鳴。ぼくは床に倒れこんで、ドアのほうに振り返った。大量に放たれたそれらが何者であるかを悟った瞬間、ぼくは叫んだ
「蛾だ! 」
慌ててドアを閉めた。それを押し返す力で、かなりの力が必要だった。その間にも蛾は家中を飛び回った。我が家は文字通り蛾の巣窟と化した。



蛾の大群を駆除するのにかなりの日数を要した。保健所の人に来てもらって殺虫剤を散布してもらい、そのためにぼくたちもしばらく家に入ることができなくなった。蛾の正体は、衣服や本などののりを食い荒らす紙魚(しみ)という虫である。閉め切った部屋の中、ダンボール箱に入れたまま湿気などの管理を怠ったために、春になって卵が孵り、大量に発生してしまったということであろう。もちろん、まともな形で残っている文献はほとんど無かった。ミミズの山が、巨万の富どころか、蛾の大発生に変わってしまったのだ。

―完―
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://watahox.blog21.fc2.com/tb.php/152-92e75f5a

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。