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最近 

毎週のこの課題のために
日々妄想に励んでおります
話しかけるとき
僕の目の色がいつもと違ってたら
注意してくださいね
「靖国の怪」

 5限の後、ニーチェについての発表が済んでしまったぼくは、実にすっきりしていた。世界には問うことができても答えられない答えがたくさんあるのだ、ということが、ここ数ヶ月ニーチェに触れてきたことによって、また、先生の講評において、より明らかになったからだ。それは、今まで求めて続けてきた真実が、実は存在しなかったというオチに対する失望でもあり、また、答えが見出せないことに対する不安が、解消されることによって起こるある種麻薬的な高揚でもあった。まさにその通り。今日のぼくはなんだかぶっ飛んでいる。怖いものなしである。
 6限の授業もあったけれども、どうせ文学なんて答えのない分野を追ったって仕様もないと思ったので出ないことにした。今日は早く帰ろう。いつもより背伸びして、超人の心持ちで世界を見下ろしながら、九段下の駅へ歩いた。
 最近、飯田橋でも市ヶ谷でもなく、あえて少し距離のある九段下の駅を利用することが多い。学校から靖国神社を貫いて歩いていくわけだが、ぼくはこのルートが一番好きである。確かに年中機動隊が待機していて、その上右翼の街宣車もしょっちゅうハバをきかせているような、いわくつきの神社ではある。それでも、これだけ開放的な広い道は東京にはそうないだろう。立ち並ぶイチョウの揺れるのも、ハーモニカや三味線で軍歌を演奏するおじいちゃんたちも、日常とはかけ離れた不思議な空間を演出するのに大いに貢献していて、その異界性こそがぼくを、毎日5分ばかし現実から引き剥がし、自由の世界に解放してくれるような気がするのだ。

 しかし今日はなんだか不穏だ。いつもどおり境内を夢うつつで通過し終えたのだが、先ほどのニーチェの興奮が冷めやらでか、神社を出てもなんだか頭がポーっとしている。坂を下ればもう九段下の駅である。いつものように電車に乗って、いつものように眠っていればぼくは元の世界に帰れるのだ。でもそれではなんだか済まされないような気がした。こんなことは初めてである。そうして結局、ニーチェの言う「力への意志」やらという概念のせいにして、ぼくは境内のほうを振り返ることにした。
 巨大な鳥居がある。青錆びた銅製の、なんの飾りもない柱の組み合わせである。それにしてもでかい。ここまで背の高いものを、ここ最近見上げてみた記憶がない。いつも当然のごとく存在していて、気づくことができなかったのだろう。視界には入っていたけれど、頭では認識されていなかった。そもそも認識なんてものは……ああ頭が痛くなってきた。
 気づくことのできなかったものが他にもある。例えば、鳥居の左右を守るやはり巨大な狛犬のうち、正面向かって左側の狛犬は、人間の言葉を話すことができるということ。そうして彼は、話すことのできない右の弟の分、余計に多弁であるということ。いつも、大鳥居を通り過ぎてゆく学生たちに、サラリーマンに、修学旅行生や留学生たちに何事か話しかけていたけれども、それは当人たちに認識されることがなかったので、ちょうど彼の独り言のような形になってしまっていたこと。弟ですら何も答えてくれないということ。兄は孤独であるということ。今日のぼくは実に冴えている。
「俺の話す言葉が聞こえるのかい? 」
狛犬が聞いた。馬鹿な質問であると思って何も答えなかった。だが狛犬は知っていた。
「聞こえるんだろう。まあよい、俺の独り言だと思って聞いておくれ。すぐそこの大鳥居のな、右の柱だ。そう、弟のほうにある柱なんだが、そこを調べてみてはくれないか。俺も昔覗いてみたきりだから、自信がないんだが……」
 やはり馬鹿な話ではあると思った。だが残念なことに、今日のぼくは狛犬よりも愚かであった。彼に言われたように、すぐそこの大鳥居の、右の、寡黙な弟のほうにある柱を誠実に調査することにした。

 誠実に調査するまでもなく、それはすぐに見つかった。ドアノブである。くり返すが、今日のぼくに怖いものなどない。自分の部屋のドアを開けるように、前世に約束されたやり方でドアノブに手をかけ、回した。
柱は空洞であった。ドアを開けた先から上部の暗闇を目指して、鉄製の梯子が掛かっている。さほど古いものではなさそうだ。あたりは既に暗くなり始めていた。バッグを降ろし、……一度弟のほうを振り返り(弟は黙って坂下のほうを向いている……それが本来の狛犬の役目であるが)、さすがに今度は恐る恐る、真っ暗で狭い柱の中を上っていった。
始めは数えていたはずの梯子の段数も、やがてめんどうになって数えるのをやめてしまった。恐怖が先に頂上に達し、もう引き返そうかと思っていた矢先、手をかけようとした右の手が空を掴み、梯子がそこで途切れたことを知った。空洞はまだ上方に続いているようである。どれくらいの高さまで登ったのだろう。結局柱はただ空洞であったというだけで、それ以上に何もなかったのだとしたら、ははは、なんと滑稽なことであろうか。僅かな期待をこめ、周囲の壁を手探りで調べてみた。やはり、そこにドアノブがあった。
予想が正しければ、ドアの向こうは大鳥居の、水平に通された下の柱、すなわち「貫」の上である。もちろん、即座にその確認は成された。ドアを開いて一歩踏み出てみると、ぼくは予想通りの場所に立っていたのだ。

貫は丸く、安定して立っていられない。上の「笠木」を抱え込むようにしてバランスを取って、何とか中央までたどりつくことができた。下を見てはいけないことはわかっていたので、なるべく遠くを見るように努めた。既に日の落ちた境内で、真っ先にぼくの目に飛び込んできたのは大村益次郎。残念なことに彼もまた寡黙であった。あんな高いところに立たされて、おそらく怖くてあそこから降りることができないのだろう。しかしぼくのほうこそ、大村益次郎よりも、その上に止まっているカラスよりも高いところに立っているのだ。ははは。高えや。
そのとき後ろで、狛犬が何事か話しかけてきた。恐る恐る兄のほうに振り返り、聞き取ろうとしたが、その声は音として認識されるのみで何を言っているのかわからない。兄の狛犬はこちらにほほえみかけながら、相変わらず口をぱくぱくしているのだが、徐々に音としてさえも聞きとれなくなってきた。弟は相変わらずこちらに背を向けて寡黙にしている。何を言っているんだ。それが当たり前じゃないか。狛犬が言葉を話すわけがないだろう……いけない。現実がかえってきている。兄に向きなおす。兄もまた、弟と同じように背を向けて……それが当然のことであるから……自分が登ってきた柱のほうに向き返る。もちろんそこにはドアノブなど存在しないはずであるが……やはり無くなってしまっている。
常識で考えれば、ぼくはこんなところに存在しているべきではないのだ。このままぼくを現実が襲ってくれば、ぼくの存在は……柱のドアノブと同じように……消しとんでいってしまうに違いない。はやくここから降りなければ! 一瞬でここから降りる方法。一瞬で地上に帰る方法……。もはや迷っている時間はない。それに、恐れるものなど何も無かったはずではないか。一番初めに思いついた方法で、ぼくは現実に帰ることにした。

―完―
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