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今週はいかがかしら 

やっぱこっちのほうが落ち着く。
誰かみくしいばりにこっちもかまっておくれよ。

本日の作文
構想3分
もう思いつかないんですよねたが毎週なんてまぢむり
それに以前このブログでも使ったネタをふんだんに使用してます

そうだ、
ぼく、椎名誠とか、北杜夫とかあのへんが大好きです
「左肩の芸術論」

 あまりの眩しさに目が覚めた。地下を抜け出た電車の窓が、ビルの影を染め抜いて赤い。上下にうねる電線の行方をぼんやりと目で追いながら、この間学校の屋上で見た、夕日に顔を半分だけ染めた女の子の顔なんかを思い出したりしていた。アホみたいに。
 夕暮れ時とはいえ、梅雨の晴れ間に顔を出す初夏の日差しは、暖かいというよりもむしろ暑いくらいだ。だにもかかわらず、よりによって僕の目の前だけブラインドが下ろされておらず、ちょうどぼくの周囲だけが照らされている具合である。せめてもう少し乗客がいてくれれば、立っている乗客が壁となって夕日をさえぎってくれるのだが、車両が帰宅中のサラリーマンで一杯になるには、少し時間が早すぎる。どうやら一度覚めた睡眠へ再び潜り込んでいく道は絶たれたようである。刃向かうように陽光をにらみ付けて、アホはアホなりに、何か考えるべきことを探した。

 幼いころのぼくにとって、夕日は与えてくれるものだった。小学生のころ母と乗った下り電車。竹ノ塚の祖父母の家から帰るとき、座席に膝立ちになって見ていた窓の外の景色は、今でこそ過ぎていく景色と言えるのだろうが、一本だったレールが二本に別れ、まるで生き物のように地面を這っていく姿や、次々と姿を変える建物の影、その他彼にしか見えていなかったであろう赤い記憶たちは、過ぎていくでも追い抜いていくでもなく、すべて少年の目に飛び込んで、吸収され、同化されていくものだった。
 やがて、どこかで詩の本か何かを拾い読みした少年は、多くの平凡な芸術家たちと同じように、夕日に何か特別な意味を与えようとするようになった。一日の境目にすぎないものを、まるで世界の終焉のように感じていたし、刻々と移り変わる赤(あか)の、紅(あか)の、朱(あか)の、一つ一つに自己の心情に当てはめて、曲がった解釈を試みたこともあった。かつてぼくは、それを感受性と呼んでいた。でもそれは、日々失われていく無垢な心を、時間の経過に抗って無理に取り戻そうとした結果に過ぎなかった。感受性は、小説や歌、教科書やらTVやらに溢れかえっていたので、まるでその手の語彙には事欠くことがなかった。
 美とは、体に直に感じられる何気ない心の動揺、それは与えられるものであって、新たに何か含みを持たせるような行為をもってして生成されるものではない。そのような生成の過程を芸術と呼ぶのであれば、ぼくは芸術家でありたくない……なんてね。

 と、ここまで考えて、ようやく頭が本調子に冴えてきたようである。どれだけぼんやりとしていたものか、つい今の今まで気がつかなかったのだが、ぼくの左肩に何かの重みがのしかかっていることに気がついた。実は先ほどの思考がにわか芸術論に至るその前から、それどころか電車が地下から抜け出た眩しさに目を覚ます前からずっとそうであったようなのだが、左隣の女性が僕の肩によりかかって眠っているのである。ストレートの黒髪が、ぼくの顔の近くまで接近している。いいにおいがする。ぼくより少し年上くらいの、若いOL風の女性である。顔は見えない。
 さまざまな思惑が脳内を駆け巡ったが、ぼくは与えられたものだけを感じとる努力を怠らなかった。知らない女性がたまたま隣にいた僕の肩で眠っている、という事実のみを認識するべきであって、おそらく彼女は疲れて眠ってしまったのであろうとか、なぜこの人は左隣の人ではなく右隣の肩を選んだのだろうとか、きっと右枕のほうが落ち着く人なんだろうとかいう余計なことを考えてはいけないのである。
 もちろん、もし彼女が彼女ではなく、バーコード頭の脂っこいおっさんとか、香水の刺激臭が鼻をつく太ったおばちゃんとかだったら……などということも考えるべきではないし、電車が揺れるたびに、彼女を起こしてはならないからと、衝撃を吸収すべく逆に身を硬直させてしまったり、はたから見るとどういう関係に見られるのだろうなどと過大妄想を繰り広げたりというようなことは、断じて、意識されるべきことではないのである。
 ましてや、自分の降りる駅に列車がついたにもかかわらず、彼女を日々のストレスから救い出さんと、今日のこの時だけは何もかも忘れてゆっくり休んでいいのだよと、仏のまなざしを彼女に傾けるあまり、このまま肩を貸しておいてあげよう、まだ時間も早いしもう一駅くらい……などということは――。

 そこまで考えが及びかけて、いや、認識はされずとも、さまざまな可能性を考慮する程度に、イメージがそこまで至ったところで、電車が停まると共に彼女の安息の眠りが解けた。幸いなことに、そこがぼくの降りる駅であった。夢から覚めた心持ちで改札をくぐり、もう暮れてしまったいつもの景観に身を泳がせた。
まるで眠りから覚めたばかりのようにぼんやりしている。おそらく陽気に当てられすぎて頭がやられてしまったのだろう。もう難しいことは考えたくなかったので、夕日に顔が半分の女の子のことに頭を戻して、早々に家に帰ることにした。

― 完 ―
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コメント

まだまだですね。
何というか……読み進めるに従って心がズドーンと重くなっていきます。
時にはそういう文章も必要ですが、たまには明るい文体で書いてみてはいかがでしょうか。

ご講評ありがとうございます!
ハイテンションで書いているので
自分ではかなり明るく書いたつもりだったのですが

伝えたいことと読者が受ける印象ってずいぶん違うんだな……と
特に前作の靖国を
授業で読まれたときに感じました
気をつけてみます

ちなみに
「なにもおこらなかった」
が僕のテーマです。
  • [2006/06/02 22:32]
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  • とある先輩さんの後輩
  • [ 編集 ]
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