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構造主義と観測について 

世の中なんてこんなものかと思っていた
それはぼくがきっとそんなものだったからだ

あらゆるものは不定形で
解釈しだいで全てが決まる
だったら気分しだいで
ぼかあ神様にもなれるかもしれないね

でもそれはぼくの中だけでの話であって
細胞レベルである目的と意志とのための
犠牲と選択が常に行われてるのだとして

そうなると結局のところ
ぼくももしかしたら
細胞の一つに過ぎないのであって

いたずらに与えられた種々の可能性も
何もかも思い通り決めてきたかのようで
実はより高次の選択に沿うように
自ら喜んで犠牲になるようなことだって
あるかもしれないのね

それも解釈しだいだから
観測の手段によっては
ぼくは波動にも粒子にもなれるんだよ
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