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音楽の文学的解釈 

最近音楽を聴く機会が増えた
少し遠くの図書館まで足をのばして
積極的にCDを試聴するようにしたり
サークルの中で貸し借りしたり

最近キターッ!なのは、オスカー・ピーターソン(pf)
うーん。指何本生えてるんだろう
一人でビッグバンドにも匹敵するような厚みを出せる
ゴージャスって言うか、おしゃれって言うか。
特にFly Me to The Moonがかっこいがった。

あと、ジョニー・ホッジス(As)
音がなんだか違う。今まで聴いたことのない感じ
独特のサブトーン。弦楽器みたいなグリッサンド
そう、音がヴァイオリンみたいだと思った
難しいソロとかとらなくても
テーマだけで素直に心に染みてくる。泣ける

まだジャズはじめたばっか
駆け出しだから、初めての出会いがいっぱいある
一日に一回は新しい音楽と出会える
しあわせだなあ

今日聞いたのは上原ひろみ(pf)
うわっ。流して聞いてたらのっけから置いてかれたよ
すげえ、初めて聞いたけどここんなにやばいとは
思わず押してはじめから聞きなおし
オスピーの倍くらいは指が生えているみたい
あと前進的すぎてよくわからない
……かっこいいのはわかるけど

「どうよ、あなたにはわからないでしょう」突き放されたみたい
テンポもやばいから拍ですら追えないし
ようやく聞き取れたと思ったらもう違う世界に入ってるし
でも辛抱して聞いていくうちに
ああ、彼女は自由なんだなって思った
理論とか、常識とかに束縛されない感じ
出したい音が技術的に制約されることもない
思ったとおりの音が出る
感じたままの表現ができるんだ

「聞いて。これが私なの」さっきの印象とまるで違う
息をする間、瞬きする間の細緻な感情の変化が
音量の変化とか、強弱とかに現れてくる
「ここはこうだからこう」じゃなしに
「こうしたい」という欲求がそのまま音になってる
誰かにもたれかかるようにしどけなく指を這わせ
時に激しく連打して興奮をあらわにして隠さない
ああ、彼女は自由なんだなって思った

これだけのものすごいインタープレイを聞いたにも関わらず
ぼくは不思議なことに、こんなことを考えていた
“Jazzって技術じゃないんだ”って
音楽の原点の話
どの時代の、どんな人が
何を思い 初めての音を発したのか
足を踏み鳴らし 手を叩き
指を鳴らして 声を上げて

大切なのは何を目的にしているのか
音楽はあくまで手段、媒介でしかないんだ
最初はちょっとした快感を得るためだったかもしれない
そこにピアノがあればピアノを弾いたし
サックスがあればサックスを吹いただろうし
何もなかったって 歌を歌えばよかった
歌詞があればなおわかりやすかった
わかりやすいものはみんなに好まれた

ただ大衆の求めないところに常に音楽の先端があった
もはや喜びだけが音楽じゃない
人類は感情を発達させた もっと複雑な心理状態がある
激励、惜別、悲壮、寂寥
伝えたいものは無限にでてきた

難しいものを表現するために 
音作りがより複雑になることもあった
その猥雑さも一部は受け容れられた
それは演奏の「技術」として 
技術もまた鑑賞の対象であった

もちろん、理由のない音楽だっていいと思う
かっこいいし、楽器好きだし
なんだっていいと思う
でもさ、それならそれでいいんだけど

かくたる動機もなく難解なものを伝えようとする態度は嫌いだな
床にバケツいっぱいの墨をぶちまかして
「これが私です」
ギターを床に叩きつけて
「これが俺らの音楽だ」
他人の理解を超えて 決して歩み寄ろうとしないで
「どうだ、理解できないだろ」って威張りくさってる
しかも大抵非建設的なことをやってるんだ
そういうの 僕はあまり好きじゃない
許せナイんだ 他人を突き放して
自分だけが何でも知ってるんだよ
自分は非凡で特異な存在なんだって
主張してるやつ、嫌い

そうか 大事なのは「動機」なのか
じゃあ、なぜ僕は音楽をやっているの?
何を伝えたいの?
あれれ自分で自分の音楽性を否定してどうするんだろう
分けわかんなくなってきたよ
多分眠いからだと思う
伝えたいもの
以前にこのブログで書いたもので間違いないと思うけれど
……カオス
寝マース
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